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2021/01/08 11:37



こんにちはマイコです。


皆さんの中に大河ドラマを欠かさず見ている方はいますか?2021年の大河ドラマは、吉沢亮さん主演「青天を突け」で、ビールとも縁が深い渋沢栄一の生涯を描きます。


今回は渋沢栄一が日本のビール発祥と発展にどのように関わったのかを紹介します。


渋沢栄一とは?


渋沢栄一は江戸時代末期、現在の埼玉県、武蔵国で生を受けました。裕福な農家に生まれですが、その才を買われ武士に昇格し、江戸幕府から明治政府へと政権が移った後も大蔵省官僚として力を発揮しました。


退官後はさまざまな企業の発起人として日本の経済発展に尽力した人物として現在もその名をとどろかせています。2024年改定予定の新1万円札の肖像となることでも有名です。


日本のビール発祥は?



日本でのビール発祥のいきさつや時期については諸説ありますが、明治の始めごろに横浜で日本初のブルワリー「スプリング・バレー・ブルワリー」が設立されました。当初は、横浜に駐留する外国人向けに醸造されたビールでしたが、政府官僚や財閥など一部の裕福な日本人にも飲まれるようになります。


その流れとともに「ビール」という名前も国内に広まり、明治14年には日本人向けのビールが開発されます。この国内第一号ブルワリーは現在もキリンビールとして引き継がれています。


並行して、明治7年に北海道開拓団が官営のブルワリー「開拓使麦酒醸造所」を設立しました。紆余曲折を経て現在のサッポロビールの基礎となっています。


現在ではこの醸造所は「開拓使麦酒醸造所 見学館」として見学することが可能です。

サッポロビール園の中にある開拓使麦酒醸造所」とは別の場所なので注意が必要ですが、徒歩20分くらいなので興味のある方は両方訪れてみるのも良いですね。


開拓使麦酒醸造所 見学館

サッポロビール園

日本のビール発展と渋沢栄一の関係


渋沢栄一は、数社の大手ビールメーカーの設立と初期経営時、重役を歴任した人物なのです。キリンビールの前身である横浜の日本第一号ブルワリーとその運営会社「ジャパン・ブルワリーカンパニー」や、サッポロビールの前身である官営「開拓使麦酒醸造所」から民営企業「札幌麦酒会社」として創立されたときなどに発起人として名を連ねています。

そのため、無類のビール好きのように思われがちですが、実際にはビールに限らず、お酒を好まなかったとも言われているようです。


渋沢栄一は明治の文明開化の渦中、5000もの企業の設立に関わったので、彼にとってビールは「今後成長が見込める分野」としての存在でしかなかったのかもしれません。しかし、現在の日本ビールの広まりよう、味のおいしさ、風味の正確さを思うとやはり渋沢栄一は先見の明があったということなのでしょうね!


今年の大河では、一般的に知られていない渋沢栄一の軌跡についてもたくさんのエピソードが紹介されることでしょう。どこでビールに目を付けたのか、酒好きではないのになぜビール醸造所や企業設立に奔走したのか、ビール好きの目線で視聴するのも面白いかもしれませんね。


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